『自己を見つめるデザイン』

 ゲームでは遊べども


今の子ども達へのゲームの影響云々、
という話をするつもりはありませんが、
私に関していうならば、
ゲームの世界に完全に没入することはないようです。
勿論、たまにやれば面白いのですが、
それよりも、現実の世界で遊んでいる方が、
遙かに多くのことを得ているように感じます。

もう良い年になった大人が「遊ぶ」などというと、
ちょっと変に聞こえますが、
小さい頃も同様で、
ゲーム機器を使って遊ぶことはあっても、
あくまでも「遊ぶ」といえば、
誰かの家にお邪魔したり、
数人で自転車でどこかまで行く、
ということが基本でした。

思い返してみると、
家の近所に一人、色々なゲーム機器を持っている子がいて、
その子の家に屯して、
みんなで話ながら、
ゲームをしながら、
というような時間の使い方だったように思います。
集まった面子で対戦ゲームなどをしたり、
誰かがゲームをしているのを何人かで眺めつつ、
全然関係ない話をして、といったような感じです。

あまり遊んだことがないのでわかりませんが、
今のネットワーク型のゲームも、
そういった使われ方をしているのでしょうか。

このブログの人気の投稿

『命と向き合うデザイン』 

 "形而上と形而下"

Method: IMRADとは何か。何がIMRADか。

風で飛ばない秋桜