『自己を見つめるデザイン』

 遊びの中の微かな変化


そんなわけで(?)、
私の子どもの頃、
つまり、今から20年30年前などは、
所謂ゲーム機器で遊んでいても、
どこかで現実の「人」とつながっていました。
そして、私に関して言うならば、
ゲーム機器で遊ぶよりは、
外に出ていって、友達と遊んだり、
以前記したように、
ダンボールや割り箸といった、
当時何処にでもあったモノをつかって、
工作を楽しんでいました。

割り箸でゴムの鉄砲をつくるときや、
折り紙を折って何かをつくるとき、
ダンボールで家(小屋?)をつくるとき、
何れも、最初は行き当たりばったりです。
こうやったらどうなるだろう、
ここにこれをつけたらどうなるだろう、
と、文字通り、つくりながら考えています。
しかし、
今、その時の様子を思い起こしてみると、
その後、ちょっと違う方向に進んだように思えます。

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