Discussion: AはAである、ということ


日本にある書き方の構成の一つに、
起承転結というものがある、ということを言いましたが、
まさに、日本で幼い頃に習うこの文章表現は、
スタートからゴールに向かって、いかに一直線に進むことができるか、
というものです。
「転」などがあったとしても、道としてはまっすぐ先に向かっていきます。
「AがBになった」、という話をいかにまとめるか、というものです。
しかし、IMRADの書き方は、
「AはAである」、ということを示すための書き方です。
この違いが、日本人が論文の形式で考える際に
一番難しく感じることではないでしょうか。

そういう意味では、もう一つ紹介した「三幕構成」は、
比較的IMRADに近いと言えます。
一幕:Introduction
二幕:Method + Result
三幕:Discussion
一幕と三幕はセットになっており、内容は重なっています。

繰り返しになりますが、
研究の中ではDiscussionが一番重要になりと言われています。
しかし、研究を行なっていくと、
如何に実験を行い、その結果はどうだったのか、
ということをまとめることに注力してしまうことが
多々あると言わざるを得ません。
文字通り、方法が目的にすり替わってしまっているパターンです。
確かに、新しい「Method」を構築し、それを実現することによって、
初めて見つかった「Result」に辿り着くことは大きな喜びですが、
論文におけるオリジナリティは、方法の取り方と同時に、
結果から何を考えたのか、という部分です。
そこにこそ、自分自身が現れるのだ、ということを常に忘れてはいけません。


このブログの人気の投稿

『命と向き合うデザイン』 

 "形而上と形而下"

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−4

風で飛ばない秋桜