‡ 現代におけるAIを考えてみる⑥ ‡

インターネットが発達したコトで、
AIの研究が進んだ、という現象の背景には、
機械学習という方法論の導入があるそうです。

以前は、三段論法の積み重ねが思考の基本と考えられていたそうですが、
それでは説明できない現象が散見されることは、
普段の生活からもよくわかります。

例えば、とここで例に出されていたのは、
「イチゴ」を見て、「イチゴ」だとわかるのには、
論理は役に立ちません。
辞書で読んでもわかるようにはならない。
「イチゴ」を見て、これだ、と知るしかない。

まさに百聞は一見にしかず、ですが、
これは、論理の研究を進めてきた人にとっては、
ある種、敗北感を味わうようなものではないか、とさえ思います。

私には、類似の体験があります。
だいたい9月から10月くらいになると、
金木犀が花をつけ、良い香りがしてきます。
しかし、実は私は、この「金木犀の香り」を、
30過ぎまで知りませんでした。

正確にいうと、「その香り」は知っていて、
毎年、ある時期、ある場所を通ると、良い香りがするなぁ、
と感じていたことがあります。
しかし、どこからその香りが来るのか、
その香りの元は一体なんなのか、
それこそ、実は調べようがなかったのです。
今では写真での検索などは可能になりましたが、
じゃぁ、香りはどうやって検索するのか?
それをどうやって他者に伝えるのか。
同じことは味と触感でも言えます。
(触感に関しては一部研究でやりましたが)

そんなことへの気づきと対応が、
AI技術の進化を進めたようです。

このブログの人気の投稿

何が違う?

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−4

風で飛ばない秋桜