知識としての宗教


私は山形県出身ですが、
大学を機に離れたためか、
地元に関する知識が、それ以降の場所に比べて少なく感じます。

福井に来て初めて、母体を宗教とした学校法人があることを知りました。
中学校・高等学校・大学など、それぞれあるわけですが、
教え、教える、教わる、ということが、どれだけ他者に対して影響があるか、
ということの一つの現れのように感じます。

私の場合は、多分、小さい頃からの影響で、
仏教、特に曹洞宗に関する知識が染み付いています。
大人になり、様々な宗教や教えに触れるたびに、
自分が持っている曹洞宗の知識との比較で考えます。

宗教の良し悪しは簡単に判断できるものではありませんが、
何か一つ、自分の中にある、ということは、
他者からの急激な影響に対して、
対抗できる術かもしれません。

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