『命と向き合うデザイン』 

 affordance


デザインに関係していると、
affordanceはちょこちょこ話題に上ります。

して、その意味はと言いますと、
「モノが身体に対して提供する価値」
などと書かれていますが、
なかなか伝わりません。

つまり、どういうことなのでしょう。

自然物であれ、人工物であれ、
環境にあるモノは全て、
知覚者に対して情報を提供している。
それは、
知覚者の主観によって構成されるのではなく、
環境に実在する性質である。
ということ。

よく例に出されるのは、
椅子は支えることをアフォードする、
だから座ることができる。
とか、
ドアノブは掴んで回すことをアフォードする、
などなど。
例を出すと伝わりそうです。

が、しかし、

これだけで考えると、
一番大切な部分を見逃しがちです。

これらの例で挙げた内容、
「基準」は何でしょう?

つまり、
「誰が」座れそうだと知覚するのか
「誰が」掴んで回せそうだと知覚するのか。

そう、それは例えば私、例えばあなた。
文字通り、知覚者です。

では、知覚者は、
何を「基準」にして、
上述のように認識するのでしょうか?

それは勿論、
自分自身の身体です。

この椅子は「自分の体重を支えることができる」
このドアノブは「自分が掴んで回すことができる」

これが最も基本にある捉え方です。

注意しなければいけないのは、
自分自身が基準であっても、
主観によって構成されるモノではありません。

例えば、
食べ物を見たときに、
お腹が空いていても、
お腹が一杯でも、
食べられるモノが
「食べられる」という性質を失うことはありません。

affordanceとは、
知覚者が環境から受け取る性質

affordanceがデザインする上で重要な点は、
ココにあります。
デザイナーが知覚するaffordanceではなく、
ユーザー(知覚者)が知覚するaffordanceを、
考えなければいけないということです。

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