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『自己を見つめるデザイン』

 プレゼの曲の記憶に寄せて

本日は、卒業制作・卒業論文の、 プレゼンテーションが行われました。 私の受け持たせていただいている学生は、 まだ卒業年ではないので、 今回は送り出す方ではありませんが、 他の研究室の副査を担当させていただきました。 今年のブログは思い出すことが多いですが、 また、今日も色々なことを思い出していました。 自分の卒業制作のプレゼンテーション、 一体どうだったろうか。 12年前、名古屋にいた私は、 卒業制作としてスピーカーのセットを制作しました。 詳細はさておき、そのプレゼンテーション、 一体、何の音楽を流そうか? (別に音楽を流さなくても勿論良いのですが、 当時はどうしても流したかったようです) あれやこれや考えた結果、 一つの曲を思い出しました。 自分たちが2年生の時にやった、 グループワークのプレゼで使った曲です。 そのグループワークを気に入っていた、 ということもありますが、 2年前の曲をなぜそのタイミングで思い出したのか、 今となっては思い出せません。 プレゼンテーション当日、 自分の順番になったとき、 友達に頼んで部屋の照明を消してもらいました。 私の制作したスピーカーセットの一つには、 音に合わせて光モノがあったため、 消灯と同時に音楽に合わせてスピーカーが光りました。 その後は何か色々とダメ出しをくらい、 悔しい思いもしましたが、 プレゼンテーションが終わった後で、 2年生の時に同じグループだった子から、 「あれって、あの時の曲だよね?!」と言われたのが、 とても嬉しかったことを、今でも覚えています。 今日、プレゼンテーションをした子達の内、 どれだけの学生が今日のことを覚えているか、 それはわかりません。 嬉しかったり、 疲れ切っていたり、 私のように喜びと悔しさと相まっていたり、 色々な感情がひしめき合っていたと思います。 でも、もしも、私のように 10年経っても忘れずにいたら、 それはその子の中で、 間違いなく価値を持って活きているのだと思います。

『自己を見つめるデザイン』

 時間・自間

その土地によって、 かかる時間が違うという話しを記しました。 昨日、午前午後と合計4時間ほど 雪掻きをしました。 暫くの間一人でやっていると 他の住民の方も出て来られて、 三人で結局最後の1時間半ほどやったところ、 アスファルトが見えるほど 雪をどけることができました。 正直、誰もそこまでやろうなどとは思っておらず、 やり切った後は自然に笑みがこぼれていました。 三人で雪を掻いている間、 誰とはなく、何とはなく、自然に話が続き、 何時の間にか終わっていた、という感じです。 一人で黙々とやっていた時との、 時間の過ぎ方の違いに驚かされました。 そして、もう一つ、ふと思ったことは、 土地によって違うのではない、ということ。 一人ひとり、 色々なことに必要な時間が異なるということ。 それは何かの仕事を終える時間や、 移動するための時間なども、 もちろんそうですが、 そんな難しいことではなく、 もっと簡単なこと。 話しをしていたとしても、 それを理解する時間、 次の話をする時間、 そういった、一つひとつの時間が、 人によって異なるという、 至極当たり前のことです。 当たり前のことですが、 それはきっと大切なことだと思います。

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 小さな差異から見えること

これまで、名古屋・神奈川・大阪と、 引っ越してきましたが、 何れも、全く違う場所、 という意識が頭の中で働いていたためか、 場所による様々な違いに対して、 そこまで敏感ではありませんでした。 寧ろ、とても違う、ということを常に感じていました。 例えば、関東から大阪に移ったときは、 東京に流れている時間の流れの速度を、 強く感じました。 人間が多いのは勿論ですが、 それ以上に、時間の流れが速い、ということが、 印象的でした。 今、住んでいる場所は、 雪国ということから、頭のどこかで勝手に、 実家に似ている、 という意識が働いていたのだと思います。 そのため、ほんの小さな差異でも、 際立って見えてくるようです。 そして、それは逆に言えば、 自分が16年前に離れが故郷のことを、 如何に記憶しているかということを表しているように見え、 不思議な感覚になります。

『自己を見つめるデザイン』

 所変われば・・・

鰤起し。 先日記した、雪なのに雷が鳴る、というものが、 所謂「鰤起し」なのだと、 今日、教えていただきました。 鰤起しという単語は知っていても、 逆に言うと、言葉でしか知りませんでした。 また、雪の降り始めの頃、 霰がよく降るのも印象的でしたが、 それもこちらに特有のもののようです。 車に乗っていて、雪が降ってきたなと思ったら、 「コンコン・・・コン・・・コンコンコン・・・」と、 車の上から音が聞こえてきてきます。 「???」と思っていると、 ワイパーに沢山の霰が乗ってきました。 直径5mmほどのボール状の霰は、 あまりにも綺麗にカタチが揃っているため、 発泡スチロールのボールのようにしか見えません。 最初は本気で霰なのかどうか疑ったほどです。 思わず車を停め、手にとって見てしまいました。 所変われば品変わる、ではありませんが、 日本という、地球全体から見たら本当に小さな島国で、 しかも、同じ日本海側で、 北側と中間という違いしかないのに、 見方によってはこんなに違う部分があるのだなと、 考えさせられます。

『自己を見つめるデザイン』

 その地で生きるための時間

今日も雪は降り続いています。 実家の山形では、 雷を聞きながら、雪を見ることは なかったように思います。 何か不思議な感じです。 先日まで時間のことを記していました。 メールや電話などの、 即時的コミュニケーションツールにおける、 微少な遅延によるストレスについて書いていましたが、 今、生活している場所では、 また、違う時間が存在しています。 例えば、雪掻きの時間や、 車をゆっくり運転する時間。 雪のない生活では全く必要のない時間ですが、 ここでは、生きていくために必要な時間です。 そう考えると、雪が降る場所に住んでいる人だけが、 時間をロスしているようにも思えますが、 逆に言えば、 雪のない場所では、雪のある場所とは違った、 必要なことがあるのかも知れません。 全てが±0でバランスがとれているとは思いませんが、 どんなに時間がかかることでも、 その土地で必要なことをきちんと行うことは、 その地に生きる者として、 大切なコトなのだと感じます。

『自己を見つめるデザイン』

 "重さ"

雪国で生活をすると、 必ず、雪の重さを知ることになります。 雪が儚く消えると思っている人は、 外側からしか見ていないからです。 実際にそこで生活し、 同じ時間を過ごすようになると、 色々なモノが見えてきます。 それは、雪の重さのように、 大変な思いをするものかも知れませんが、 それが同時に、 次の季節に肥沃な大地を育んでくれるような、 優しさを持っているコトにも気が付くはずです。

『自己を見つめるデザイン』

 "音を吸い込み、光を放つ"

雪が積もった朝はとても静かに始まります。 地面に、屋根に積もった雪が音を吸収してくれる、 それは、無音室と同じ原理ですので、 実際、物理的静かなのだとは思いますが、 それとは何か違う力も働いているように感じます。 こちらの雪は実家の方に比べて、 大粒で軟らかいモノが多いようです。 実家の方では粉のように細かな雪が降ります。 そのため、 溶けにくく、積もりやすく、凍りやすく、滑りやすい。 そんな風に認識していたのですが、 昨日から今日にかけて降っている雪は、 ちょっと違うようです。 大粒の雪がどんどん積もっていきます。 融雪がしっかりしている道はまだ大丈夫ですが、 私が駐車している駐車場や、 その前の道は見事に真っ白に染まってしまいました。 車で行くこともできましたが、 今日は大学のバスを利用してみることに。 丁度、一年前、 同じバスを使って非常勤に通っていました。 全く知らない学生達に紛れ、 見知らぬ道を、 見慣れぬ場所へ、 たった15分程度でしたが、 当時は色々なコトを考えていました。 今朝、そのバスに乗ってみると、 学生達から自然と声をかけられ、 驚くと同時に、嬉しさが生まれました。