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1月, 2020の投稿を表示しています

移動を楽しく

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昨年、自転車のレースに出た時の写真です。 現在の乗っている車を決める際、 決定する大きな要因になったのはそのプロモーションムービーでした。 CLAのトランクを開け、 ロードバイクをスッと積み込むシーンが印象に残り、 あ、これにしよう、と一発で決まりました。 2台収納して移動することができるので非常に便利です。 大阪に住んでいた時は、京都の南部に車を駐車し、 そこから二人で京都市内まで出たりしていました。 MercedesもGIANTも、 共に私の大切なアイテムです。

耐性があるのか、どうか

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今日の仕事中、差し入れてもらった飲み物です。 前回はコーヒーでした。 カフェインは利尿作用がある、という話はよくありますが、 こと、お茶に関しては、今までそれを実感したことはありませんでした。 ただ、コーヒーにはどうやら弱いらしく、 その差はどこから来るのだろう、と考えています。 一つ思い当たるのは、 お茶、特に玉露に関しては、小さい頃から飲んでいました。 今でも実家に帰ると、基本的に飲み物は緑茶です。 ずーっと飲んでいる、と言っても過言ではないほど、 話をしながら飲み続けています。 もしかしたらそれによって耐性が? と、今日考えさせられました。 研究対象にできる内容かもしれません。

それぞれの過ごし方

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大学への通勤は、 電車と車と自転車という三つの手段があります。 場所が変わると、走っている電車そのものはもちろんですが、 ホームの雰囲気も変わります。 一様に電車を待っていることに変わりはないのですが、 全体を撮ってみると、そこにある様々な人間模様が面白く、 違う姿が同時に見て取れることに興味を唆られます。

体からカメラへの伝達

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岡山の植物園にいった時の一枚です。 望遠を手に入れた直後で、 それを使って何か良い題材はないか、と探して歩いていた時でした。 遠くの方で鳥が枝の間を行き来しているのが見え、 お!と思って狙ってみました。 この場合、何が難しいかといえば、 ピントと、 シャッターを切るタイミングです。 絞りやシャッタースピードは事前に設定で、 ピントもなんとかそれ付近には合わせられますが、 シャッターを切るタイミングだけはどうにもなりません。 見て、 押して、 切れて、 これらがうまくはまる日は来るのだろうか、、 と考えてしまいます。

浮世絵のレイアウト

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今日は岡山県立美術館にて、 「ミュシャと日本、日本とオルリク」という展示を見てきました。 ミュシャは本当に日本でも人気が高く、 授業のアンケートでも多くの学生が書いてきていました。 以前も展示は見たことがあり、 その作品の素晴らしさはいうまでもありませんが、 今回はそれに加えてちょっと違った部分に意識がいきました。 日本との関係性をうたっている展示なだけあり、 当時の日本の芸術の一つ、浮世絵なども飾られていたのですが、 それらの作品の画面構成に非常に目が惹かれました。 葛飾北斎や歌川広重など、こちらも著名な方々の作品が並んでいましたが、 それらのレイアウトの秀逸さに、今更ながらに驚かされました。 頭では理解していたことが、実感として体が反応した、 そんな感覚でした。

探しながら歩く

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例えば容易には行けない場所を、映像で記録する。 写真のような島を上方から撮影する、 という特殊なシチュエーションではなくとも、 今、自分が住んでいる家屋の屋根を撮影する、 ということでさえ、通常は難しいものです。 そのように、容易には行けない、撮ることができないようなアングルから、 様々なものを撮影してみるということは、 ドローンの一つの大きなアドバンテージと言えます。 そういったものを探しながら歩く行為は、 フィルムカメラを持って散歩をする行為に、 近いものがあると感じます。

見える世界

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少しずつドローンを使って遊んでみています。 高視点から周囲を眺めるということがなぜこんなに楽しいのか、 自分でコントロールするということがなぜこんなに楽しいのか、 新しいプロダクトで遊ぶということがなぜこんなに楽しいのか、 そんなことを考えさせられています。 ただ、逆に言えば、それを越えたところに本当のアウトプットがある、 のだと感じて来ることも多くあります。 これをどのように使うのか、 これを使って何を表現するのか、 それを考えていくのが楽しいところです。

夢中で

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「あ、すごい!」「綺麗だな」「撮りたい!」など、 いつもと違う景色を見たりすると、ついつい勢いで撮ってしまいます。 しかし、後から見てみると、 「なぜこの時撮ったのか?」という疑問が湧いて来ることがなんと多いことか。 「あ!」と心が動きつつも、 シャッターを切る瞬間は冷静になるべきなのかもしれない、と、 考えさせられました。

情報の解像度

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たまたま購入したパラコードで遊んでみました。 たまたま、というのは、本来購入する予定ではなかったのですが、 購入したいものとセットで販売されていたため、 ということで手に入りました。 色々な結び方、纏め方がありますが、 今はいずれも動画でその方法を見ることができます。 昔折り紙の本を見ながら折っていた時とは、 わかりやすさが格段に異なります。 情報の解像度が高い、と表現できそうです。

学食にて

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大学の食堂にて。 全く利用したことはなく、 用がある学生と話すために行ったのですが、 自分が学生の頃の「食堂」という場所について思い出していました。 たまに昼食を食べに行く、という感じの利用でしたが、 食堂のおばちゃんがいて、 友人がいて、 色々な会話や対話をしていました。 私の大学生活において、 とても重要だった場所の一つです。

霜が降りて

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早朝からの勤務があり、 霜が降りている中、大学に向かいました。 会場に向かって歩いて移動している中、 朝日に彩られた霜付きの葉を見ることができました。 車のフロントガラスが凍っているような朝でしたので、 こんなシーンは、そりゃそうだよねとも言えるのですが、 なんとなく嬉しくなり、眠気やしんどさが薄れていきました。

県の木

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この木の幹は赤松でしょうか。 鬼ノ城に登った時に、 山肌に見えていた樹木の一部です。 岡山に来る、となった時に、 県の木・花・鳥を調べました。 花はももの花、鳥は雉とのことで、 まるで桃太郎だなと感じたのですが、 木は赤松でした。 なぜそうなったのかは調べ切れていませんが、 自分の足で歩いた先にそういった樹木を見つけると、 何かそこに意味があるように感じられてきます。

露出の難しさ

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空に一筋の飛行機雲があり、 それを撮ろうと思ってシャッターを切った一枚です。 現在使っているカメラは全て露出計が壊れているため、 iPhoneの露出計アプリで計測しています。 木の暗い部分が広い範囲を占めたため、 暗い方向に振れてしまったようです。 未だに、目で見た印象と露出計を使って測った値は、 差があります。 露出計がなかった当時、カメラを使用していた人たちは、 如何に難しい状況で使っていたのか、 そのことを考えさせられます。

見る目の変化

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たまたま同じ壁面に、 たまたま同じような大きさの、 全く違うシルエットが描かれていました。 これは学内ですが、 この時カメラを持っていなければ、 この関係性では撮れなかったでしょうし、 そもそも見つけることができなかったかもしれません。 カメラを持って歩いていると、 自然と何か撮るものはないか、と探している自分がおり、 逆に、カメラを持っていない時に、 あ、今、持って入れば、、、と思わせられるような瞬間に出会ったりします。 世界を見る目が変わってくるようです。

水の質感

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人や生物は撮っていて楽しい、という話を何度か書きましたが、 もう一つ、水も興味深い絵になります。 特に流れている水は、 シャッタースピードとの兼ね合いで、見え方が変化します。 流れている様子を見せたいときは、 どこまで絞れるか、ということになります。 フィルターを使えば良いのですが、 移動している時など、 瞬間を撮ろうと思うとなかなかそれも難しいです。 また、写真の左上のように、水のなんとも言えない質感が撮れた時も、 嬉しい瞬間です。 その時間に戻って触れてみたい、と感じさせてくれます。

明るいレンズ

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明るいということは、 レンズにとっては重要なこと、ということも、 実感としてはありませんでした。 しかし、補正が全くない今のカメラを使っていると、 それがどれだけ素晴らしいことか、 強い実感として感じることができます。 Leica IIIfを購入した際、当初はレンズはなかったため、 一つ貸してもらいました。 しかも、それはとっても明るいレンズ、 当時のLeicaに合うL39マウントとしてはびっくりな明るさのモノです。 お陰様で、夜の街中も楽しく写すことができます。

生活の中のロボット

年末にセール情報を教えていただき、 Roombaを購入しました。 以前から興味はありつつも、なかなか決定打に欠けていたところ、 半額近く落ちているなら、と導入を決意しました。 一人暮らしの時から掃除は好きとは言えず、 できることならば避けたいものでした。 それは料理洗濯など家事全体に言えるのですが。 実際に導入した結果の一つとして言えることは、 微笑ましい、ということです。 映像のように甲斐甲斐しく環境を綺麗にしていってくれることに、 ある種の感謝を感じます。

アナログな感覚で

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暗いところではシャッタースピードを長くする、 そうすれば明るく写すことができる。 知識としてはそう理解し、今までもそのように撮ってきました。 最近フィルムで撮るようになり、 シャッターを開けているということはつまり、 その時間、光を取り込んでフィルムに像が映る時間を稼いでいる、 と考えるようになると、数字だけでは割り切れない想いがついてきます。 例えば、B(バルブ)モードにしてシャッターを押し続けていると、 「今、どのくらいフィルムは感光しているのか」と、 リアルに考えるようになります。 それはデジタルとは違い、 極めてアナログな感覚なのだと感じます。 そこに面白さがあるのだと、ようやく感じられるようになりました。

散歩が登山に

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年末年始は久しぶりにダウンしてしまったため、 岡山に帰って来てから初詣に行きました。 最上稲荷というところへ参ったのですが、 ふとした拍子に入りこんだ山道が、 まさかの大変な事態に。。 鬼ノ城でも感じたことですが、 なぜ、岡山ではちょっとした散歩がそのまま登山になってしまうのか。 地形に原因があるのかな、と考えざるを得ないほど、 そういうコトになる場面が多くある様に感じます。 お陰様で体調復帰、最初のイベントは見事な山登りになりました。

意識のベクトル

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みんなが見つめる先は、 ショッピングモールのイベントスペースです。 群像を撮る時、 みんながバラバラの方に意識を向けているのか、 みんなが同じ方に意識を向けているのか、 それによって写真全体の印象も変わって来ます。 意識にベクトルがあるのだとしたら、 私のベクトルだけが彼らとは異なる方向を向いていることになります。 常にそういうベクトルを持つということは、 写真撮影にとっても、デザインにとっても重要なことに感じます。

時代における考え方

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古道具屋さんを覗いて、 なんとなく古いカメラを見かけると、 仲間意識の様なものを感じます。 昔の道具は、丈夫なモノが多い様に感じます。 それは、感じるだけではなく実際そうなのかもしれません。 薄く成形することができなかっただけだったり、 強度の計算が甘かったりしただけのことかもしれませんが、 それが総じて今でも使えるモノとして残っていることになります。 今のモノのつくりが良くない、という意味ではなく、 その時代のモノづくりに対する考え方を感じることができます。

群像劇の一幕

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昨年末のある駅での一コマです。 みんな忙しなく動いている様が見て取れます。 群像劇として、全体が動いている絵は、 よくよく見てみるとそれぞれに物語があるようで、 面白く見えます。 ある人は急いで通過しようとしています。 親子連れは足の動きの速度の違いが見えます。 丁度通過している人はスケッチで描きたくなるようなバランスで立っています。 全員が何か一点に集中しているという絵も面白いですが、 全員がそれぞれの意思で動いていることが見える絵もまた、 興味深いものです。 そんな瞬間をどう切り取るのか、 それもまた大変に難しいショットです。

人の気配

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人物や生物を写真におさめるのが楽しいのですが、 なかなかそう上手くもいきません。 ただ、例えばそこに生活を感じることができたり、 人がいる、人がいた気配を感じることができれば、 それは同様に面白い写真といえる様です。

木漏れ日の色

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モノクロフィルムとカラーフィルム、 それぞれカメラで分けて使ってみていますが、 別段色を残したい、と思わなければ、 モノクロフィルムでも気にならなくなっています。 写真はカラーフィルムで撮ったものですが、 奥行きのある木々の隙間から太陽の光がのぞいているもので、 ほぼ、モノクロと言っても良いような絵になっています。 まだまだ悩みながら、写真熱は終わらない様です。

旅のお供

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旅のお供に何を連れて行くか、 その時々のツールを記録していくのも面白いのかもしれません。 今回の飛行機での移動では、 この2つを出していました。 だいぶ古くなってきたiPadと レンジファインダーカメラです。 昨年は、写真の撮り方としては特に、 スナップショットの面白さ、難しさを知ることができました。 単位時間という意味での「瞬間」を、 いかに単位空間という意味での構図と共に切り出すのか。 そんな写真の面白さを、意識せずに来たことが勿体無いと感じます。 今年も色々と試行錯誤しながら楽しみたいと思います。

マークをつけるということ

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体調が悪い中、なんとか岡山まで帰って来ましたが、 上空にて鼻のトラブルが。 うっかりポケットティッシュを荷物にしまってしまい、 どうしたものかと考えていたのですが、 CAさんに聞いてみると、少々お待ちください、とのこと。 ほどなく、写真のものを持って来てくれました。 あぁ、やっぱりそういうところまでちゃんとあるのだな、と感じ、 なぜか嬉しくなりました。 JALかANAか、 特にこだわりや好みはないのですが、 航空会社のブランディング力の強さは本当にすごい、と考えさせられます。

時代の名機

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実家で出会ったのは、 父が以前使っていたフィルムカメラでした。 OLYMPUS OM-1というもので、 調べてみると、当時としては良い商品だったようです。 今でも中古のフィルムとしては人気があるとのこと。 広角と望遠、両方持っており、 いずれも撮影には問題ない状態でした。 露出計が動くかどうかは、 以前Konica FMでトライした電池が使えることがわかり、 そちらも無駄にならずにすみそうです。 こうして見てみると、 その時代時代の名機を購入していた様で、 その術を学びたいと感じます。

特徴付けるものは何か

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岡山の夜の繁華街、 イルミネーションの中を行き交う人々と車です。 今まで色々な土地で暮らしてきました。 大阪よりも西に来たのは初めてでしたが、 何が違うのか、たまに考えています。 都会や田舎、それぞれの場所で暮らして来ましたが、 その分類ではうまくいかないのかな、と感じます。 空気の色の違いや、その他にも、 場所を特徴付けるものはなんなのか、 自分にとって強い影響力を持っているものは何なのか。 考えていきます。

空気の色

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岡山に移動した直後は、 晴れの日が多いことによく驚いていました。 その気持ちは最近ももちろん持っていたつもりでしたが、 年末に実家・山形に移動してみて、印象がまた変わりました。 空気の色、というものがあるのかはわかりませんが、 そんなものがそもそも違うのかも知れません。 以前先生から北陸で育ったから、一段明るい色を選択するようにしていた、 というお話を聞いたことがありましたが、 それを強く思い出していました。 空間の色自体が、何か違うように感じます。 明るい、と言えば良いのか、どうなのか、 また、岡山に戻ったらそのことを考えてみたいと思います。

形は違えども

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ドローンが飛んでいるかと思えば、 写真のように凧が飛んでいたりします。 昨日、山形の公園に行ってみると、 そこでも子供たちが凧をあげていました。 文化や技術は移ろいつつも、 例えば、空に馳せる想いや、 それを見て興味を唆られる気持ちなどには、 違いはないのかもしれません。

本年もよろしくお願いします。

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山形に帰省してすぐの時に写真のような虹を見ました。 お、幸先が良いのかな、と思ってみれば、 案の定、私の場合はそんなこともなく、 体調を崩して寝込んでしまったわけですが、 意外とそれはそれで良かったのか、と感じています。 2019年、自分なりに結構走ってきたと感じています。 しかし、できていないことが山積みです。 2020年それらを消化しつつ、自分の足で歩けるよう、 務めていきます。 本年もどうぞよろしくお願いします。