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11月, 2019の投稿を表示しています

自然に生まれる線

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撮っている時には、そこまで意識していなくても、 現像した写真を見てみると、 思いの外強く線として意識させられるモノがあります。 この写真のS字の線、 撮っている時も見えてはいますが、 それよりも動いている人に目が行っていたことを覚えています。 写真という一枚の絵として切り出してみると、 人の存在はもちろん感じますが、 それ以上に、S字カーブや、 人の影に目が行きます。 ファインダーから見ている時にも、 そこに目がいくように、 自分自身を鍛えて行きます。

目の中心のレンズの中心

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ファインダーから見ている中心が、 レンズの中心ではない、ということ。 ちょうど良い写真があったので、 使ってみました。 撮った時は確かに扉のセンターが中心になるように撮ったつもりなのですが、 思いの外ずれていました。 そもそも、ブツ撮りでない限りは、 対象をセンターに置いて撮ることがないので、 大きな問題にはならないと思っていたのですが、そうもいかないようです。 しかし、こういうところも、 レンジファインダーカメラの面白さなのかな、と、感じています。 何よりも、上のライトの影が良い感じに出ており、満足です。

思い起こす時間

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Leica IIIf Elmar 5cm F3.5で撮った写真が現像されて来ました。 改めて、楽しいなぁ、、、という素直な感想です。 カメラによる違いを感じるだけの技量を身につけなければ、 というのがありますが、 まず今は素直に撮れた写真を見て楽しんでいます。 現像までに時間がある、というのも、 面白く、もどかしい、不思議な感覚です。 その時、自分は何を思ってシャッターを切ったのか、 その時の自分の意思と、撮れているモノは、 どれだけ一致しているのか。 それを思い起こすこともまた、 楽しい時間です。 不思議に感じます。

生物と静物

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写真撮影における、生物と静物の大きな違いは、 写り込む動きの有無です。 つまり、シャッタースピードを時間の基準とした時に、 そこに写り込む姿が、止まっているのか、ブレているのか、 そこにあるのではないかと考えます。 逆に、生物でも、 撮影した時のシャッタースピード上、止まって見えるならば、 扱いとしては静物と変わらないとも言えます。 しかし、この写真の中ほどに写っている猫は、 ある方向に視線を向けています。 そこには何かしらの意思が働いていることが感じられます。 それは生物の特徴の一つであり、静物とは区別される部分なのかもしれません。

生きているものを撮る

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人間や動物達、そういうものを積極的に撮るようになりました。 もちろん、肖像権を尊重することは忘れていませんが、 フレームの中に人や生き物が入ることで、 写真が俄かに生きてくるように感じます。 多分、建物や植物に比べて、 人間や動物は変化が著しいためだと思いますが、 それだけに本当に難しいです。 また、演出してしまうと、一気に冷めてしまいます。 やはり、土門拳の「絶対非演出の絶対スナップ」が重要です。

街中に鷺

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鷺という鳥は本当に色々なところにいます。 写真の奥の方に見えるように、 街中のそれも結構車通りが多い場所でしたが、 普通にのんびりしているように見えました。 どこから飛んで来てこの水場を見つけるのか。 すごいなぁと感心しながらシャッター切りました。 飛び立った瞬間にフィルムカメラで撮ってみましたが、 どう撮れているのかドキドキです。

雰囲気を切り取る

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今まで写真を撮ると言っても、 スナップショットを撮るようなことはありませんでした。 風景や建物(共に人があまり入らないように)、ブツ撮りが基本で、 シーンを切り取るという考えは全くなかったと言って良いと思います。 カメラをそういうものだと捉えていなかったようです。 今、レンジファインダーカメラを手にして感じるのは、 スナップショットの難しさと楽しさです。 風景を切り取るのではなく、雰囲気そのものを切り取るには、 一体どうしたら良いのか、 どう撮れば人に伝えることができるのか、 それを考えることが難しくも楽しいのです。

商店街

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岡山に来てから、商店街によく行くようになりました。 大阪で住んでいたところの近くにも、いくつかの商店街がありましたが、 そこに行って、お茶をして、買い物をして、お店をのぞいて、 ということはそんなになかったと思います。 空堀商店街など、面白い場所はあったのですが、 多分、それよりも目新しいものが多くあったからなのか、 ゆっくり歩いて眺めたことは少なかった印象です。 その点、岡山では、よく行っています。 他に行くところがない、というわけではないのですが、 その雰囲気が好きなのか、なんなのか、 多分、でもそうなのだと思います。 往来を色々な人が歩いているその様子も好きなのかもしれません。

トマソンのように見える空間達

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大学生の頃、トマソンのように感じられる空間に、 惹かれた時期がありました。 街中を散策してレポートをまとめるような授業でも、 そういう空間のみを撮影し、 「トマソンのように見える空間達」というタイトルでまとめたことを、 今でも覚えています。 不思議に感じつつも、何か惹かれる空間を、 ごく自然に取り上げたレポートでしたが、 着眼点やタイトルに興味を持ってもらえたことを記憶しています。 気がつくと、フィルムカメラでもそういう空間を追っていることに、 気づかされました。

カフェで撮る

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カフェの中で写真を撮るときは、 食べ物か、またはインテリアに焦点を合わせますが、 できるならば、人も含めて撮りたいな、と感じます。 それは多分、カフェを始めとした空間は、 人が入ることで完成するからかもしれません。 誰かと食事をしている場面では、 会話を写すことはできませんが、 そこに流れる空気感から、 会話が透けて見えるように感じることがあります。 それもまた、写真の面白さなのでしょう。

感光

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以前、フィルムカメラは影の部分が面白いなぁ、と感じました。 フィルム写真における影とは、つまり感光していない部分です。 特にモノクロフィルムの場合は、 光を受けずにそのままの状態で残ったところ、とも言えますが、 多少でも光が入れば、その強さに応じて像を結びます。 フィルムによる違いも様々あるようですが、 まだ、そこまでは経験的にわかっていません。 感光した部分の情報量と、 感光していない部分の情報量、 どちらがより多くの内容を持っているのだろうか、 と考えながら絞りやシャッタースピードをいじっています。

低彩度の佇まい

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紅葉を見に行く途中、 突然写真のような場所が出現しました。 地図で見ても、特に施設名などは出て来ず、 完全に閉鎖されたところのようでした。 なんともワクワクする佇まいに思わず車を停め、 写真を撮ってしまいました。 ここでふと感じたのは、 土埃に汚れ、彩度が落ちてしまったこの施設は、 モノクロフィルムでも、カラーフィルムでも、 印象は然程変わらないのでは、ということです。 もしかすると、色に纏わるものならまだしも、 普通の景色に対する記憶なども同様に、 カラー情報というものはそこまで重要ではないのかもしれない、 と考えさせられました。

圧倒される風景

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昨日、豪渓という場所に、紅葉を見に行きました。 家に帰り、そもそも他にはどんな場所があるのか、と調べてみると、 奥津渓という場所が、 様々なサイトでランキングの一位を飾っていることに気がつきました。 そういうことならば、と思い行ってみると、 確かにこれは、、、と感じる景色が広がっていました。 渓谷の両側に紅葉した木々が広がっているのですが、 整えられた美しさではなく、 自然の中でそのまま育ったような、 そんな風景に圧倒されました。

季節を楽しむ

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以前から季節の変化や、 季節ごとのイベントは大切にする方でしたが、 岡山に移ってからもそれは変わらず意識しています。 キャンパス内の木々も色付き始めていることから、 紅葉を見に、山の方へ。 岡山では初めての紅葉狩りになりましたが、 本当に綺麗な景色が多く、 晴れた空に映える赤を見て楽しみました。

路地裏へ

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岡山駅の東側は繁華街になっています。 飲み屋さんなども含めて、 色々なお店が軒を連ね、 商店街も結構な賑わいを見せています。 政令指定都市になるほどに人口も多く、 ハロウィーンの時は駅前に人が溢れていました。 そこから、一本くらい道を外れてみると、 うらさびれたような雰囲気が漂ってきます。 そんなギャップもまた、この場所独特な印象で、 面白く感じます。

経験でしか、わからないこと

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神社に行った際に、 すごい迫力の雲が出ていたので一枚撮ってみました。 Konica FMでの撮影ですが、 Hexanon 35mm F2.8を使うようになってから、 Hexanon 52mm F1.4との違いを感じならが撮るようになりました。 知識としては、35mmは50mmよりも広角だから、 広い範囲が撮れる、と知ってはいましたが、 やはり実感として経験を持っていなければダメなんだなと考えさせられます。 今日も35mmで紅葉と空を撮りました。 ここに出せる絵になっているかが問題です。

積み重ねる

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昨日のカラーチップを、 iPhoneのカメラで撮った写真です。 色情報は残っていますし、細部までくっきりと写っていますので、 「カラーチップ」の姿を、 ある程度保存することができていると言えます。 では、この写真で私が何を言いたいのか、 伝えたいのか、ということは語れているのだろうか、 そんなことを考えるようになりました。 まだ、自分の中に、写真を撮るという経験が足りていないのだと思います。

カラーチップ

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これは、カラフルなカラーで塗られたチップ達の写真です。 モノクロフィルムで撮ったため、 もちろん色情報はなくなっている訳ですが、 そうなると、この写真には意味があるのだろうか、 と考えさせられます。 先日からモノクロフィルムで撮る意味について、 色々と想いを巡らせていますが、 今ひとつ、自分の中で、これだ、と思える結論に達しません。 「良い感じだ」という気分ではあるのですが、 そんなものではない、何かを言語化したいと考えています。

優しい木漏れ日

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以前、広島の現代美術館に行った時に撮影した写真です。 木の影が強かったため、 シャッタースピードを長めにして撮影しました。 そのためか、木漏れ日が柔らかい感じに広がって、 思いがけず優しい写真になりました。 今のデジカメでももちろんこういう写真は撮れるのだと思いますが、 自分がデジカメを使っていた時は、 そんな風に撮ろう、などとも思いませんでしたし、 こういう風に撮ることができる、ということも考えませんでした。 そういう意味では、撮った結果が偶然性が含まれている今の時間は、 不思議な面白さがあります。

色相の情報

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綺麗な瓦屋根があったので撮ってみました。 近づくことはできないところだったため、 遠くからの撮影になりましたが、 通常イメージするような瓦とは違った色合いが印象的でした。 こういった色情報に重要性がある場合は、カラーでなければ伝わりません。 そういう意味では、 モノクロ写真よりもカラーの方が有利な点が多いように感じますが、 それでも、いまだにモノクロ写真が愛されるということは、 色情報を超えた何かがあるということなのだと考えます。 まだ、自分の中では、その整理はついていません。

食べつつ飲みつつ

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周囲の暗さを感じてもらえたら、と思い、 ちょっと遠くから撮ってみました。 真っ暗な中にポツンと一軒、 美味しいイタリアンのお店がありました。 以前、彼岸花を見に行った、 真庭市の、久世という場所に行ってきました。 飲み歩きのイベントがある、と伺い、 私たちも一緒に連れて行っていただきました。 商店街を中心としたエリアのお店から5軒を選び、 美味しい料理をいただきました。 こういった地域のイベントに参加するのは、 福井の時以来かもしれません。 懐かしい気持ちとともに、 色々なコトが周囲にあることを考えさせられました。 なんと言っても、岡山は面積が広い。

決定する力

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どういう構成を自分が好むのか、 そんなことを考えながらよくシャッターを切っています。 写真という枠の中に収めて、 風景を切り取るという言い方をしますが、 自分の「好き」「嫌い」にしても、 現像してから改めて見てみると、 あれ?なんでもっとこっちを入れなかったのか? もっとこうした方が良かったんじゃないか? と考えることが必至です。 ある意味、その瞬間瞬間の決定力を養う訓練になっているように感じます。 私にはとても必要なことです。

切り取る

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写真を撮る、ということは、 ある空間をフレームで切り取る、という行為です。 どの部分を、どう切り取るか、いつも考えさせられます。 構図、という言葉がありますが、まさにそれです。 もちろん後からでもトリミングをすることはできますが、 でき得ることなら、最初から狙ったフレーミングで、 完成した形を目指したいと考えています。 タイミングよく、構図を狙って、シャッターを切れるか、 心の中はいつもその鬩ぎ合いです。

闇の中を写す

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岡山国際芸術祭にて、 真っ暗な体育館で撮影した時の写真です。 本当に暗い中だったため、正直、写っていないか、 手持ちで撮ったため、手振れで見られたものじゃないか、の、 どちらからだと思いながら、試しに撮ってみました。 思いの外しっかりと写っていることから、 Konishirokuのレンズの明るさと、 Konica FMの重さによる固定のしやすさを実感しました。 影と光をうまく写せるようになりたい、 そう考えさせられました。

スナップショット

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レンジファインダーカメラを使う、ということを考えた際、 スナップショットを撮ろう、と決めて試してみました。 厳密な定義などはないのでしょうが、 街中を歩いている中で、 あるシーンを切り取る、というのがその一端ではないかと考えます。 また、難しいことではあるのですが、 できるだけ、人や生き物をフレームの中に入れよう、とも決めてみました。 結果的に相手の顔が写りすぎているものなどは、 こういった場には出せなくなりましたが、 そういうことも含めて、 自分にとって練習だと感じています。 あるシーンを伝えるためには、 「誰」であるかは必要がないことが多いわけです。 家族写真や記念写真などとは違います。 そんなことを一人考えながら、 写真に向き合ってみています。

所有する喜び

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今回、カメラを試すようになって初めて、 オークションを利用するようになりました。 ヤフオクという名前はもちろん知っていましたが、 自分で使用することはありませんでした。 ただ、今回のようなモノを取り扱う場合は、 こういったシステムは非常に使い勝手が良いと感じています。 その流れで、幸いにも、 欲しいと思っていた機種の一つを手に入れることができました。 Leica IIIfとElmar 50mm F3.5です。 バルナックライカの定番中の定番ですが、 今回、フィルムカメラで撮るようになってから、 やはり、その定番を是非、一度は使ってみたいと考えるようになりました。 プロダクトデザインに関わる人間の一人として、 所有する喜びを感じることができるモノの存在は、 非常に大きいと考えています。 それを手にすることの大切さを、 また教わることができました。

個と群

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日蓮宗ということで、 束になったお線香に火をつけてお供えした時の様子です。 煙を、空気中に微粒子が浮遊している状態だと考えると、 そのシーンを写真に撮るということは、 微粒子の群としての動きを切り取っている状態です。 それこそ、高解像度のカメラなら、 一つ一つの粒子も見えるようになるのかもしれませんが、 写真に求めていることは、 個々の粒子の瞬間を捉えることではなく、 群としての動きを捉えることです。 そのために必要な要素は何か、を考えなければいけません。

空気を撮る

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雨の中を傘をさして歩いていく、 たったそれだけのシーンなのですが、 たったそれだけのシーンを撮っている、ということに意味があると感じます。 ブツ撮り然り、 ポートレート然り、 何か対象をより良く示すように撮ることがメインであり、 それが写真だと考えていました。 しかし、スナップショットとして捉えてみると、 こんな撮り方があり得るのだな、というそれだけでも、 自分にとっては本当に大きな変化です。 その場の空気を撮っている、と言って良いのでしょうか。

ボケを使う

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同じ展示会場でも、 ボケている人とボケていない人で、 伝えられるメッセージが変わってきます。 暗めの会場内でシャッターを切り、 その中で全くボケずに写っている、ということはつまり、 その展示に釘付けになっている、ということを、 暗に示すことができます。 もちろん、実際にその人がどうだったのか、 それはわかりません。 それでも写真を見た人に私の考えを伝えることはできる。 そう考えると、非常にデザイン的であると、捉えることができます。

動きのボケ

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屋内で、確かシャッタースピードは50くらいだったと思います。 そのくらいで撮影すると、ゆっくり動いている人でもボケてきます。 デジカメで撮っていた時は、 それを防止するためにできるだけシャッタースピードを上げ、 絞りを開けて、と撮っていましたが、 スナップショットとして考えてみると、 この瞬間、この人が動いていた、ということそのものが、 一つの意味を持ってくるように感じます。 展示を見終えて次の展示に移動したのか、 そのまま帰ったのか。 もしも、この人が完全に停止していたなら、 それはそれで意味を持ってくる。 そういう考えを巡らせることができる、 という面白さに気がつくことができました。