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7月, 2019の投稿を表示しています

美しい星が見られる町

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そんな名前の町が、岡山にはあるようです。 「美星町」 学生が教えてくれたのですが、 超ど直球の名前ですごいなぁ、と思っていました。 それがつい数日前のこと。 そして、今晩、そのことが早速役に立ちました。 何かの流星群がくる、ということで、 せっかくだから行ってみよう、と思い立ち、 夜の10時過ぎから急遽向かってみることに。 途中からほとんど街灯がない山道(舗装はされている)になり、 もうこの辺で良いかな?ということで降りてみると、 本当に久しぶりにびっくりするような星空に出会えました。 写真は、その星空なのですが、 やっぱり、ちゃんとカメラを揃えよう、という意識が、 ますます高まりました。

ここまでやる

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ここまでやるのか? と思わせなければならない、そう教わってきました。 しかし、それが存外難しい。 必要かどうか、ではなく、それを超えたところのものでなければならない。 写真は、Apple Watch購入時に、本体をカバーしているモノです。 しっかりとしたケースに入っているので、 本体をここまで覆う「必要」は、、、 そう、必要だからあるのではないのです。 「私が購入したものは、ここまで大事にされて手元に届いた」 そう感じられます。 そう感じさせる気遣いがされています。 そういうコトが重要です。

未知への道

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知らないことを知ることは、 純粋に楽しい、と感じます。 全くわからない領域の場合、 最初はハードルが高く感じ、 どこから攻めたら良いのか、悩みます。 しかし、その部分を少し堪えて先に進もうとすると、 (またはわからないということを無視して取り敢えず進んでみると) あるところで、 「あ、以前見たアレは、このことだったのか」と気づくところがやってきます。 私の場合、 その瞬間が楽しい、 と言っても過言ではないのかもしれません。 色々なことに対して器用にサクサクと進めることができる人からすれば、 遠回りをしているように見えたり、 ちんたらやっていると見えるかも知れませんが、 私の速度で進むことでしか、「み」えない世界もある、と信じています。

季節の食べ物

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昨日は土用の丑の日でした。 理由や意味や歴史などは取り敢えず置いておいて、 やはり、鰻を食べたくなり、お昼にいただきました。 ニュースでは、 数が少なくなっているから云々、という内容が聞こえてきましたが、 逆に言えば、 土用の丑の日と、というタイミングでもなければ、 一年を通して鰻を食べよう、と考える機会など、そうそうありません。 それは別にうちに限らず、 そんなものではないでしょうか。 それでも尚不足している、という問題があるのだとしたら、 それは、明らかに流通に関する問題ではないでしょうか。

木々と雲とトラス

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予報では曇りの割合が高かったのですが、 あけてみれば、日中はほとんど晴れでした。 敷地内の木々と、 広場にかかるトラス、 その間から見える雲が見事でした。 以前も書きましたが、 ここはとにかく、空が広い。 高い建物や、高い山がなく、 平地が広がっているのがその要因だと思いますが、 それがなんとも気持ちが良いのです。 山形から名古屋に出た時、 見渡してみても山並みが見えず、 色々な雲の写真を撮り貯めたことを思い出しました。

緑の中の白

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大学までの道を自転車で走っていると、 突然白い影が正面を横切って行きました。 ん?!と思い、視線を送ると、 一羽の真っ白な鷺です。 それが、綺麗な緑色の田の真ん中にゆっくりと降り立って、 ゆっくりと遠くを見ているようでした。 山間の場所、ならではだなぁ、 と一瞬思ったのですが、 いやいや、大阪のど真ん中でも見たな?!と、 すぐさま思い出しつつ、 写真だけを撮って、大学への道を走って行きました。

夏の音(*音量注意)

朝、門を入ってすぐのところ、 蝉の大合唱に迎えられました。 夏の風物詩と言いますが、 最近、ここまでの音量を聞いたことがあっただろうか、と感じました。 田舎、と言ってしまえばそれまでですが、 だからこそ、ここまで「夏!!!」を感じさせてくれる音があります。 1週間の命、その1週間を過ごすには、ここは良い場所かもしれません。

文鎮

会話の中でたまたま出て来た言葉ですが、 文を鎮める、とはどういうことなのか、と思い調べてみたところ、 意味としては、「重み」の方に比重があるようでした。 「鎮」 会意兼形声。眞(シン)(=真)は「人+音符鼎(テイ)・(テン)」からなり、 穴の中に人を生きうめにしてつめること。 填(テン)(つめる)の原字。 鎭は「金+音符眞」で、欠けめなくつまった金属の重し。 思いがけず、いきなりきな臭くなりました。。。 折角なので追いかけてみます。 「 填 」 会意兼形声。眞(シン)(=真)は「匕(さじ)+鼎(かなえ)」の会意文字で、 器にさじで物をいっぱい詰めるさまを示す。 填は「土+(音符)眞」で、土を穴に詰めて満たすこと。⇒真 とにかく、器や穴に何かを詰める、という動作のようです。 それが、金属だったり、土だったりするようです。 「 真 」 会意。「匕(さじ)+鼎(かなえ)」で、匙(さじ)で容器に物をみたすさまを示す。 充填(ジュウテン)の填(欠けめなくいっぱいつめる)の原字。 実(シ゛ツ)はその語尾が入声(つまり音)に転じたことば。 と思っていたら、今度は、「匙で」と条件が。 少しずつ移りかわる事で、本当の要点がどこなのか、 という事が見えてくるのが面白いです。 「 鼎 」 象形。かなえの形を描いたもの。三足で、安定してすわる器のこと。 「かなえ」とは、三つの足と二つの耳のある器。 もと、なべや食器として用いたが、 のちには王侯の祭器、礼器となった、とのことです。 生活の必需品だったのかも、と考えると、 身近なところから生まれた言葉だったんだな、と感じます。 象形→会意→会意兼形声、という移り変わりもまた興味深いです。

ダイスを使って遊ぶ

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サイコロ、ダイスなどと呼ばれるモノです。 主にボードゲームなどで使用するわけですが、 その歴史や成り立ち、種類など、 調べれば調べるだけ、ネタはどんどん出て来そうです。 ちょうど小学校から中学校に上がった頃、 このダイスを使った「遊び」をやっていました。 今で言うところのRPG: Role Playing Gameの前身、 Table talk RPGというゲームにハマったことがありました。 ゲームとはいえ、テレビゲーム系のコンピュータを相手にするのではなく、 文字通り、人と話をしながら進めて行くゲーム。 数人で集まって、 一人がつくって来てくれたシナリオをベースに、 会話で展開して行く遊びです。 無言では成り立たないので、必然的に話します。 それぞれに役割(Role)があるので、 一人だけ話さない、と言うこともありません。 全員が話します。 演劇のようなものなので、楽しむためにはみんながキャラになり切ります。 その結果、話すことへの恥ずかしいという気持ちや、 うまくできるかなぁ、という不安がなくなったように思います。 だって、それはキャラクターがやっているのだから、という安心感です。 それはある意味、今の匿名によるネット社会に近いように思いますが、 完全に顔出し(直接会っているわけだから)しているので、 これ以上ないほど非匿名性な状態です。 そういうコトで鍛えられたコミュニケーション力はあるのかもしれない、 とふと考えました。

自然の風

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私はクーラーが苦手です。 人工的な冷風がダメなのか、 継続的に冷たい風を当てられるのがダメなのか、 決定的な理由はわかっていませんが、どうにもクーラーは苦手です。 扇風機、または自然な風で良いくらいです。 そんな中、日本には良い道具があります。 団扇や扇子です。 特に扇子は、コンパクトに畳むことができつつ、 広げた時の図柄やバランスなど、 色々と考えさせられます。 写真は、数年前にいただいた物ですが、 夏になると鞄に入れておきたい一品です。 伝統的な構造が性能につながり、効能が生まれ、機能になっています。

知識としての宗教

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私は山形県出身ですが、 大学を機に離れたためか、 地元に関する知識が、それ以降の場所に比べて少なく感じます。 福井に来て初めて、母体を宗教とした学校法人があることを知りました。 中学校・高等学校・大学など、それぞれあるわけですが、 教え、教える、教わる、ということが、どれだけ他者に対して影響があるか、 ということの一つの現れのように感じます。 私の場合は、多分、小さい頃からの影響で、 仏教、特に曹洞宗に関する知識が染み付いています。 大人になり、様々な宗教や教えに触れるたびに、 自分が持っている曹洞宗の知識との比較で考えます。 宗教の良し悪しは簡単に判断できるものではありませんが、 何か一つ、自分の中にある、ということは、 他者からの急激な影響に対して、 対抗できる術かもしれません。

季節のもの

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一昨日に続き、昨日はバジルをいただきました。 株ごといただいたのは、 むしろ、株の状態を見たのが初めてでした。 当たり前なのですが、 その香りの素晴らしいこと。 いただいた後、帰るまでの間、研究室に置いておいたのですが、 あっという間に部屋中に香りが広がり、 イタリアンのメニューが頭に浮かんできました。 美味しそうな食材を見ると、 何か新しいメニューをつくってみたい、 そんなことを料理をしていた頃は考えていました。 季節のもの、土地のものをいただけることに感謝です。

お野菜をいただく、ということ

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昨日、お知り合いの先生から、 ご自宅の畑で採れたというお野菜をいただきました。 写真はその一部ですが、 大きさと良い、色艶と良い、 まさに、ついさっき採れたのだ、という印象を受けました。 以前、福井に住んでいた時も、 野菜が採れたから、 今朝の漁で獲れた残りだけど、 スイカ食べるか? などなど、本当に色々なものをいただきました。 そして、そういった食材はまさに現地のものであり、 「あぁ、これがここの味なんだなぁ」と、 感じさせてくれました。 美味しくいただきたいと思います。

酸味はどこから?

なぜ、コーヒーに拘る人がいるのか、 以前からそれは不思議でした。 ただ、そこまで興味がなかった、 もっと正確に言えば、味の違いがあまり感じられなかったために、 興味を持てなかった、のです。 ただ、ここ一年ほど、ほぼ毎日と言って良いほど、 1日一杯は飲むようになり、 少しずつですが味の違いがわかるようになってきました。 もちろん、例えば、2種類用意して、その場で飲み比べればわかるのですが、 それは「わかる」とは違うように感じます。 そんなわけでコーヒーのお味についてですが、 ひょんなことから調べてみると、これがまたなかなかに興味深い。 特に、私自身、酸味については以前から気になっていたこともあり、 (というか、なんでこの飲み物、酸っぱいわけ?という感じに) それについて調べたわけですが、 「煎り方」や「挽き方」「淹れ方」それぞれにおいて、 酸味が強くなる方法(抑える方法)がある、ということにびっくりです。 「豆の種類」が関係することはもちろんです。 酸味だけでそうなのに、苦味やから何やらカニやらを考えたら、 そりゃもう、拘る人が出てくるだろうなぁ、と、 素直に感じることができました。

拘ることができる、ということ

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コーヒーの味、特に酸味について調べてみました。 そもそも、「苦い」飲み物に「酸味」まである、というのは、 なんて複雑なんだろう、と感じていたのですが、 コーヒーの木の実の種なのか、と考えると、 なんとなく納得できるようなできないような。 その種を取り出し、 煎って、 挽いて、 淹れて、 できあがり、とのこと。 お茶が、お茶の葉を乾燥させて、お湯を淹れ抽出する、 というのとは、複雑さが格段に違うように思います。 今日、たまたま、挽くための道具を見ており、 写真のようなモノを見かけたため、 その話を書こうとしたのですが、 それ以前で終わってしまいました。

楽しみ方

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今日はウインナコーヒーをいただきました。 たまたま入った珈琲屋さんのおすすめに入っており、 もともと好きだということもあり、注文しました。 上:生クリーム 中:コーヒー 下:砂糖 という層になっており、 「混ぜないでお召し上がりください」とのこと。 その通りに飲んで行くと、 冷たい生クリームの向こう側から熱いコーヒーがやって来て、 最後はすっきりとした甘さが残りました。 こんないただき方があるのだな、と感じながら、 足を休めました。

風習

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所変われば、ではありませんが、 お盆などの行事に関しては、 その場所その場所の特徴が強く出てくるように感じます。 たまたまスーパーに寄った帰り、 その入り口で「盆舟」というモノを見つけました。 ん?盆ということはお盆に使うのかな? とは思いつつも、聞いた記憶がなく、 その場にあった資料などを見てみると、 やはりお仏壇の前に、お供え物を乗せて置き、 ご先祖様を迎えるためのもの、とのことです。 舟を形作っている植物は「真菰」とのこと。 こちらも、名前はどこかで聞いたことがあったなぁ、 というくらいで、断面を見てもピンと来ませんでした。 まだまだまだまだ知らないこと、学ぶべきことがいかに多いか、 日々考えさせられています。

コーヒーと共に

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昨年から、よくコーヒーを飲むようになりました。 以前は紅茶などのお茶系が多かったのですが、 最近は朝は専らコーヒーです。 味がわかる、というほどではないのですが、 それでも、あ、これは好きかも、ということは感じるようになりました。 街中を歩いている時も、 以前よりもカフェや喫茶店が目にとまるようになったと思います。 昨日もたまたま通り掛かりましたので、 コーヒー一杯だけいただいて帰って来ました。 朝は専らコーヒー、と書きましたが、 この独特の黒い液体を飲み干すと、  何かスイッチが入るように感じ、 コーヒーと共に自分が起動して行くようです。

児島にて

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先週末は、倉敷から児島にかけて回りました。 「児島のジーンズ」という言葉は知りつつも、 なかなか見に行く機会がなかっただけに、 新しいことだらけの時間でした。 岡山に移ってから、書籍等を通して、 つまみ食い的に情報を吸収して来ましたが、 そのいくつかが繋がった印象です。 もちろん、それだけではわからないことが多数あることは認めた上で、 ぼんやりではありますが、流れを感じることができるようになって来ました。 その上で感じることは、 では、次はどこへ?ということです。 時代的に2世、3世になってきた現代、 生き残りをかけた戦いが始まっていると感じます。

桜桃

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「さくらんぼ」は漢字では、 「桜桃」や「桜ん坊」、「桜実」のように書くそうです。 その中でも私としては、 中谷宇吉郎が「雪」の中で書いていた、 「桜桃」が一番意に沿っているように感じます。 「桃」は、 中国では昔から、仙木になる仙果と考えられており、 神聖化された食べ物とのことです。 そこまですごいのか、どうかはわかりませんが、 小さい頃の私達にとっては、 6月、7月の間だけ食べることができる、ある意味神聖な食べ物でした。 一人暮らしをした時に、初めてその価格を知り、 本当にびっくりしたものです。

倉敷の方を車で走っていると、不思議な地名が出てきました。 「扇の嵶」 読めない。。。 調べてみるとどうやら「おぎのたわ」と読むようです。 家に帰り、いつもの漢字源で見てみると次のように載っていました。 「嵶」 訓読み:たお, たわ 意味:たお。たわ。地名に使う。 え?これだけ??? という情報量です。 確かに地名に使われていましたが、 逆にいえばそれ以外では使われないようです。 しかも、どうやらこちらの地名でのみ、使われているようで、 そういった、特定の場所だけで使用されている漢字は、 いくつかあるようです。 気が付いた時にでも、ちょこちょこと調べてみようと思いました。

課題展示

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学内にはちょっとした展示空間があり、 事前に申請し、スペースが空いていれば、 学生の授業課題などの展示を行うことができます。 今日はその展示方法について、 一緒に担当している先生方と打ち合わせを行いました。 どう展示すれば、 多くの人に見てもらえるか。 作品同士を比較しやすいか。 何よりも、美しい展示になるか。 そういった意見をぶつけあい、 現場で確認し、いくつかの項目を決めて行きました。 短時間のやり取りですが、スピーディで気持ちが良い時間です。

話し

今晩、他の先生方と夕食をご一緒しました。 職場の立地の関係から、 なかなかそういう機会は取りづらいのですが、 今回はタイミングからもうまくいきました。 普段、職場ではなかなか聞く機会がないような、 リアルなお話を直接伺いつつ、 自分自身はどうなのか、と考えさせられました。 その気持ちを明日から実際にぶつけていきます。

塩と地球儀

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児島の方に行き、古い家屋を観る機会がありました。 創業者から続く事業に関する内容がほとんどでしたが、 その家財道具などの中に、古い地球儀が一つありました。 明治の頃と考えれば、地球儀を所有していること自体が大変なことですが、 何よりも、それを持とうと考えたこと、 そしてそれが重要なモノだったとして、残されている、ということこそが、 今でもその一族が分野において重要な力を有し続けていることの 証明の一つになっていると感じて仕方がありません。 塩、という、今ではどの家庭でも食卓に並んでいるものが、 当時非常に重要なモノであり、そこに着眼したということ、 それこそが素晴らしいことです。

七夕を迎え

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お陰様で今年も無事に誕生日を迎えることができました。 これからの1年間、何をやって行くべきか。 自身で見つけ、実行していきます。 新しい場所に来てから3ヶ月が経過し、 ようやく少しずつ、わかってきたことがあります。 どう動けば良いのか、と考えたり、 どんな人達なのか、と想いを巡らせたりしましたが、 何を言っても自分に出来ることを見つけ、 動くだけだな、と結論に至りました。 どうぞ今後もよろしくお願いします。

既知の新素材

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新しい素材に触れることは、非常に重要です。 新しい、と言っても、新素材ではなく、 しかも、それに類するモノには触れたこともあり、 履いたことも着たこともある。 そんな素材なのですが、 製造工程を含めた工業製品としての一連の流れを聞くと、 それはもう、ある意味、全く新しい素材に感じられます。

脳内マスター

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今朝、車で出勤している途中、 一瞬道端に丸い梅の実が落ちているのが見えました。 普段だったら気づかなかったかも知れませんが、 前日に母から届いた絵葉書が梅の絵で、 その印象が頭の中に残っていたようです。 頭の中にマスターが出来上がると、 類似のモノを見つける速度は格段に向上します。 何かを学んだり、習ったりするときも、 その原理を利用するわけですが、 人間は不思議だなぁと、しみじみと感じます。

岡山を外から眺める立ち位置

ある方から、 「あまり中に入ろうとしない方が良い」というお話をされました。 私自身、新しい土地に来たわけですから、 少しでも早く中の人と近い距離で接し、 中の人間として動けるようになりたい、 と考えていたこともあり、ちょっと驚きました。 その方曰く、 外から来た人間として、外からどう見えているか、 その視点(eye-point)を失わないようにしてほしい、 とのことです。 客観的に観る目を常に持っておく、 それは、ともすれば焦って中に入ろうとしてしまうことで、 忘却してしまう重要な視点の在り方だと感じました。

水面の薄紅色

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夕方、たまたま建物の外に出てみると、 雲の隙間から夕焼けが見えていました。 薄紅色、というのでしょうか。 雲の層で色の弱まった様子がかえって綺麗に見えたのですが、 それ以上に、田植えの終わった田んぼの水に、 その色が見事に映えていました。 緑の苗とのギャップに依るものか、 鏡のようにピンと張った水面に依るものか。 一瞬遅れてそちらの色に気づいてからは、 目はそこに釘付けになっていました。

格安のマウス

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100円ショップの品揃えの凄さには、本当に驚かされます。 写真の基板は、パソコンのマウス、 光学系でしかも、無線で接続できるタイプのものです。 これが300円で売っていました。 学生への課題の関係から、いろいろなマウスを家電量販店で見ていました。 金額はピンからキリまでありますが、 それでも最安値は、税別で680円くらいはします。 そんな中、流石に100円ではありませんでしたが、 300円でも十分安いわけです。 有線のモノはもしかしてあるのか知らん、と思って探してみたところ、 有線はもちろん、無線のモノまであるという、 本当に、プロダクトのあり方を考えさせられます。 構造や機構を学習しつつ、 実際にカバーリングを自分で試すことができる。 大変良い教材だと感じます。

馴染み?のお店になるか、どうか。

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普段は家で食事を摂っていますが、 休日などは外で食べることがあります。 引っ越してから数ヶ月しか経っていませんが、 その中でも、あ、もう一回食べたいな、 と感じるものがあります。 スパイスなどをふんだんに使用したカレー屋さんで、 昨日も寄ってみました。 私自身はすっかり忘れていたのですが、 食べてみると、あぁ、こんな味だったな、と、 美味しくいただきました。 お店の中では、明らかに日本国籍ではない方もいらして、 楽しそうにお話をしています(日本語で)。 そんな店も含めて改めてこのお店が好きになりました。