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9月, 2019の投稿を表示しています

赤の中の白

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彼岸花を見に行きました。 岡山県の真庭市というところには、 たくさんの彼岸花が咲いている場所がある、ということで、 実際に見に行ってみました。 咲いている場所があるというよりも、 真庭市自体、そこら中に彼岸花が。 聞いていた公園の近くに車を停め、 降りてみると、あるわあるわ。 本当に群生していました。 その中で、たった数本だけが、写真のように白いものでした。 毎年いらしている方の話によると、 去年までは白いのは咲いていなかった、とのこと。 自然によるものなのかはわかりませんが、 不思議なこともあるなと思いながらシャッターを切りました。

玉ボケ

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これは、Konica FMで撮った写真です。 背景にある光が、玉型にボケている状態を、 玉ボケと呼ぶようです。 画像編集ソフトでぼかしてもこのようにできません。 (今なら色々なフィルタでできるのかもしれませんが) 質があまり良くないレンズでボケることによって生じるようです。 でも、それがまた、良いなぁ、と感じて見ています。 人間の目ではこのようには見えません。 見ようと思って意識がいったらピントが合ってしまいますし、 視力が弱くてボケている場合は、全体がぼやっとするだけです。 これもまた、カメラの目で見える世界のようです。

偶然性に宿るもの

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レンズの性能によって、写真の周辺が暗くなることを書きました。 一方今日あげている写真は、たまたま写真の巻き取りに失敗し、 裏蓋が開いてしまったことによって生まれたものです。 性能によるもの、ではありませんが、 こちらもエフェクターなどによる効果ではなく、 偶然にもそうなってしまったもの、です。 ピンホールカメラを調べている時、 ちょうど、こういう効果を生み出す方法、などが記事としてありました。 でも、そこでもやはり、 作為的なものはどうにも、と思っていたのです。 そんな中、今回、本当に偶然にもこういう効果が得られ、 なんとも不思議な気持ちになりました。

周辺減光

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そんなわけで、Konica C35で試し撮りです。 実際、シャッターは切れているような音がするし、 露出計が動いているように見えるので、もしかして本当に使えるのか? と、それでも半信半疑の状態で色々と撮ってみました。 (520円で買えた"ジャンク品"が調子良く動くとはなかなか考えられません) この写真はその一枚です。 写真の四隅が暗くなる現象、 周辺減光、というらしいです。 絞りを開放してたり、広角レンズだったりするとよく起こるようですが、 今回はそれらに該当しないため、 単にレンズの性能の問題なのでしょう。 でも、多分、それが良いのかもしれません。 アプリケーションのエフェクトでそう言った効果を得るものもありますが、 どうも嘘くさいなぁ、と感じていたところです。 小さいながらも優秀、と言われていた(らしい)、 HEXANON 38mm F2.8のレンズ。 とっても良い仕事をしてくれるようです。

原因を考える

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中古で購入できたKonica C35 Flash maticは、 フィルムの巻き取り部分が機能しませんでした。 そのためジャンク品として扱われていたわけですが、 そもそも直すようなトライもされていないのでは、と考え、 取り敢えず駄目元で開けてみることにしました。 小さい頃から壊れたラジオをもらってバラしてみたり、 何になるわけでもないのにちょこちょことやっていました。 もちろん、そんな知識や経験は微塵も役に立たないわけですが、 機械式、ということは、物理的に何か原因があるのでは、 ということくらいは考えることができます。 特に、何回か落としたような跡が見られることから、 運が良ければ、その衝撃で歯車やネジが外れているだけでは? と予想を立て、少しずつバラしていったところ、 多分、本当に単純に状態が良かったのでしょう。 無事に直すことができました。 ひょんなことからうちに来ることになったこの子とも、 これから一緒に色々なところに行ってみたいと思います。

2台目のKonica

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先日、家から離れたところにあるカメラのキタムラに行ってみると、 ジャンク品の中に写真のカメラが入っていました。 Konica C35 Flash matic と書かれていました。 レジに持っていくと、 壊れているため使用できないモノとして販売していること、 返品はできないことなどを何度も確認され、 520円で購入しました。 実際、落としたであろう凹みがあったり、 ウレタンの劣化などはありますが、 どこがジャンクなのだろう?と思い、 取り敢えず、一度フィルムを入れてみるか、となった矢先、 原因がわかりました。 シャッターは切れている音がするのですが、 フィルムを巻き取る部分が壊れており、 レバーを巻いても中身が動きません。 だからジャンク品なのか、、、と残念に思ったのですが、 駄目元と思い、バラしてみることにしました。

無加工の力

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iPhoneを使っていると、 カメラ用のアプリや、 写真編集用のアプリがたくさんあります。 実際、プログラムとして組むときも、 ある程度は画像編集用のキットが利用できるため、 つくりやすいということもあります。 しかし、フィルムカメラで遊ぶようになると、 そこに違和感を感じるようになりました。 例えば、現在のiPhoneで可能になった、 背景をぼかす機能に関しては、使うことに抵抗を覚えるようになっています。 写真はあるカフェでの一枚ですが、 店内の暗さと屋外の明るさのコントラスト、 中の影の部分と陰の部分、 それぞれで面白さを感じます。 (自分で感じているだけですが) アプリのフィルターで付けるコントラストも、 もちろん、その写真が持っている要素を活用したものが多いので、 間違っているわけではありませんが、 いつか、自分で納得がいく写真を、 カメラだけでつくれるようになりたい、 と強く感じています。

季節が巡る

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偶然、撮ることができました。 車で通り過ぎる瞬間、 「あ、秋桜が咲いている」と思い、 引き返したのが良かったようです。 丁度蝶々が蜜を吸いに止まっているところに出会えました。 改めて今のレンズの性能を認識ました。 とにかく明るい。 屋外とはいえ、曇り空の下、 1/1000でも明るく撮れてしまいました。 色々撮っていく中で、 多分、私は影の部分にモノが潜む感じが好きなのかもしれない、 と感じるようになってきました。 …にも関わらず、現像されてきた絵は非常に明るいモノです。 まだまだ慣れなければいけません。

カメラの目

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現像された写真を見てみると、 撮影したその瞬間、 ジブンの目に映っていた世界と、 カメラの目に写っていた世界、 どちらが正しいのか、と考えさせられます。 自己満でしかありませんが、 綺麗だな、と思う写真が撮れた時、 撮った時、私の目にはこんな風に世界は見えていたのか、 と自問自答しています。 写真を撮る、ということは、 撮った瞬間を頭の中に焼き付けている行為なのかもしれません。

引き寄せられる

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あることをやっていたり、 その話をしていると、 関連した情報などが飛び込んでくることがある、 という話は聞いたことがありました。 しかし、これまではあまりそう実感できる機会はなかったと思います。 今回、フィルムカメラで写真の勉強をし直していることを、 ちょこちょこ話していました。 (というよりも、下げて歩いているとそれだけで質問されます) その流れで写真のカメラを譲り受けることになりました。 何かをやっているとそれに関連したことが降ってくる、 あるのかもしれません。

適切な重さ

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ピンホールカメラの重量が約150gであるのに対して、 Konica FMは約1kgあります。 現代でもびっくりの重量ですし、 もしかしたら当時でもびっくりの重さだったかもしれません。 しかし、その重さがあるからなのか、 ブレにくいのは事実です。 脇をしっかりと締めて構え、 ゆっくりの押し込むとブレずにシャッターを切ることができます。 レンズがあることでピントが合う、 ということに感動したわけですが、 その要因の一つとして、この重量があると感じます。 軽ければ持ち運びしやすく便利であることは間違いありませんが、 モノの適切な重量、というのは重要なことです。

三つの比較

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新しく導入されたKonica FM。 以前ピンホールカメラと、iPhoneとで撮影した学内の同じ場所 を 撮ってみました。 左から、 iPhone・Konica・ピンホール、です。 Konicaの色はフィルム取り出しの際にトラブルがあり、 ちょっと開いてしまったので今回は考えないとして、 画角、とクリアさ、が面白いなと感じました。 何よりも今回使ってみての最初の感想は、 ピントが合うってすごい!というものです。 頭のどこかで、フィルムはぼやっとしたもの、と 勝手に変換されていました。 これから楽しみです。

写し取る

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家に帰ってきた時、駐車場のところで撮った一枚です。 いくつかの雲が広がり、 一方が朱く、もう一方は暗く、色付いていました。 私が見た色を、そのまま写し取ることは難しいことです。 しかし、私が見たと感じた色を、 そのように写し取ることは、慣れてくればできるようになるかもしれません。 ピンホールカメラは少しお休みし、 フィルムの一眼レフを使ってみることにしました。 今度はどのように色を写し取ってくれるのか、 楽しみです。

時の流れる速度

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以前、大阪に住んでいる時、 出張で東京に行く機会がありました。 その時、今回と同様に、夜の六本木を歩いていたのですが、 「あぁ、ここは時間の進み方が違うのだな」と感じることがありました。 具体的に何が、と聞かれると、今は明確に応えることが難しいのですが、 とにかく、何かそういう空気感を感じたことを覚えています。 良し悪しとは違う次元で、そういうものだ、と考えさせられました。 今回もまた、そんなことを思いながら歩いていました。

継がれていくモノ

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ピンホールカメラを通して、 フィルムによる撮影とデジタルによる撮影の違い、 というよりも、そもそも全然違うものだ、という認識を、 持つことができました。 そんな中、今回、たまたま祖父が使っていた、 フィルムカメラを受け取ることができました。 大変綺麗に保存していただいていたおかげで、 カメラ屋さんでチェックしてもらう際に、とても驚かれました。 これにまつわるエピソードも少しずつ書いていきます。 まずは、これを使うことができる喜びを感じています。

モノの価値とは

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会場設営はもちろん業務です。 スーツ、は流石に場違いかと感じましたが、 ワイシャツはいつも通り着て行こうと考えていました。 出発直前に寄った100円ショップで、 まさかのモノを見つけました。 写真にあるように金額は700円ですが、 700円でワイシャツが! もう一体日本のモノづくりはどうなっていくのか、 そんなことを思いつつ、 汚れる可能性が高い設営には、これを着て行こう、 と鞄にしまい込みました。

洗練された動きの集合体

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会場の設営に立ち会って来ました。 展示計画で、実際に図面を書かせてもらい、 その現場で確認するという作業を一人でするのは初めてのことでした。 写真の中に赤いラインが見えるでしょうか。 基準になる位置に糸を張り、 それをテープで固定しています。 こういった一つ一つの作業が、非常に手際よく、 洗練された流れで積み重ねられて行きました。 それでもトラブルが発生したり、 誤差が生じることもありましたが、 全ては多くの経験の上に成り立っている、と、 強く考えさせられました。 感謝です。

把手に宿る

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写真の把手はある宿泊施設のものです。 古くからある施設で、 現在でも大変綺麗な状態で保たれています。 そこの廊下を歩いている時に、 この把手が並んでいるのが見え、 金属部分と木部分、それぞれの使い込まれた感じや、 それによって生じる色艶の変化などがとても印象に残りました。 この上品な佇まいは最初からのものなのか、 時間とともに生まれたものなのか、 そんなことを考えさせられました。

陽の当たる場所

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ピンホールカメラは、屋内で使用する場合は、 屋外よりもはるかに露光の時間が必要です。 しかしながら、うまくいくとこんな感じの写真が撮れます。 縁側や、陽のあたる窓際は、 どうやらうまくいくようです。 容器の透明さや、床への映り込み、窓の桟の影など、 色々な要素がしっかり写っています。 ただ、この被写体が、2回伐採後の豆苗、 というのがなんとも切ないところです。

光と陰を撮るモノ

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オオイヌノフグリがあったので、 ダメ元でピンホールカメラで撮ったところ、 思いの外綺麗に撮れたようです。 背景の光の描写と相俟って、不思議な雰囲気に撮れています。 ある意味、すごく素直に撮れるのだな、と感じます。 確かに向こうの方は明るく、 咲いていた場所は、完全な日陰になっていたのですが、 それがこんなかたちに撮れるなんて。 カメラとは、 対象物を撮るモノではなく、 光と陰を撮るモノのようです。

色、とは

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私が持っているピンホールカメラは、 シャッタースピードのみ、自分でコントロールできます。 コントロールできる、と言っても、アナログでやることなので厳密ではありませんが。 それによって、どの程度の量の光を取り込むのか操作できます。 たくさん取り込めば白っちゃけてしまいますし、 あまり取り込まなければ暗くなります。 もちろん、それはそうなのですが、 それは同時に、どんな色を出すのか、ということにつながってきます。 ・明度 高:白 低:黒 ・彩度 高:純色 低:黒 光の量をコントロールするということは、 明度をコントロールすることです。 しかし、鮮やかに見せたい、となると、 明るいだけではダメです。 ただ、暗くなってしまったら、もちろん鮮やかさは確保できません。 つまり、色が鮮やかな状態とは、明るさと暗さの間にある、 ちょうど良い状態にはじめて実現できることです。 そしてそれは、色事に変わってきます。

残るもの

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いつ、どこで撮ったのか、 ピンホールカメラ で車の通りを撮ったと思うのですが、 なぜかすっかり忘れてしまっています。 夜など暗い空間で、シャッターを開けたままにして撮影することで、 こんな感じの写真が撮れることはよく知られています。 それを元にしたアート作品なども数多くあるわけですが、 写真ではなくとも、こう言った残像を利用したおもちゃなどもあります。 ある意味、一般的なアニメーションを楽しむことができるのも、 残像を利用しているためです。 光とは何か、 目とは何か。 習うよりも、自分で学ぶことで、自然に理解できる部分がありそうです。

漂う空気感

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昭和な感じ、とどういうものでしょうか。 自分は昭和に生まれています。 だからわかるのか?と言われるとよくわかりませんが、 それでも何か、感じるものはあるのかもしれません。 合宿の帰り道、廃線になった駅に寄っていただき、 写真のような場所を訪ねました。 気持ちが良い、ただ、そんな風に思えることが幸せだと感じました。

母校とは

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ある研究室の合宿に混ぜていただきました。 その研究室が以前関わったという施設を中心に、 色々な行事に参加させていただきました。 福井や金沢でも、 似たような経験をさせてもらいましたが、 その先生方の母校は全て一緒です。 私はそこを出ていませんが、 こういう形で関わらせていただく、 構っていただけることにとても感謝しています。 一方、母校は、と考えさせられています。

変化する考え

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今日はピンホールカメラ を持っていくのを忘れていました。 家を出てちょっとしたところで気が付いたのですが、 時間のこともあり、仕方がないかと。 そうしているとかえって 「あ、ここ撮ってみたいな」などと思えてくるから不思議です。 デジカメが普及し、いつの間にかメモとしての写真が当たり前になっていました。 しかし、やっぱりカメラは作品を撮るものなのかもしれません。 作品、と言っても大層なモノという意味ではありません。 自分の考えや想いを写すという意味での作品です。 そういう考えで写真に向き合えるようになったのは、 自分にとって良い変化です。 写真はある日の商店街です。 休日にも関わらず少ない人通りが雰囲気をつくっています。

秋の雲

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先日もありましたが、いよいよ秋の雲が。 とは思いつつも、気温や湿度はあまり秋っぽくありません。 岡山県、と一言で言っても結構広いためか、 テレビで出てくる注意報に「???」となることもしばしばです。 ようやく、新しい場所に来たんだな、と感じ始めています(今更ですが)

輪郭線

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プラスチックレンズのピンホールカメラで撮ったから歪んで見えるのか、 実際に廊下が歪んでいるのか、 シャッター時間に動いたから歪んで見えるのか、 現実とはなんだろう、と考えさせられます。 カメラの前では嘘はつけない、 という言葉をたまに聞きますが、 この場合の嘘とは何から何を見たときの嘘なのか。 eye pointとview pointを明確にする必要があります。 大学一年生の時、モノの輪郭「線」は存在するのか、 という話題がありました。 少なくともピンホールカメラで見る限りは、 それはないように感じます。

一定時間を切り出す行為

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じっとしているつもりでも、 やっぱり体は動いてしまっているわけで。 プラスチックレンズによるブレと、 手の振動によるブレは、 とてもわかりやすく見分けがつきます。 以前も書きましたが、 写真とは瞬間を撮るものではない、とつくづく感じます。 一定時間を切り取るというのが近い表現なのでしょうか。 それは、以前カンディンスキーの絵を見たときに感じたことだな、 となんとなく思い出していました。

自動調整

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夜間、自動車が通っているところを、 なんとか撮ろうとした一枚です。 ピンホールでは難しい、ということもありますが、 寧ろ、この写真を見て感じることは、 人間の目の性能の良さです。 夜間に暗いとはもちろん感じるわけですが、 生活が困難なレベルにはまだなりません。 そういった調節を自動で行なっているということに、 人体のすごさを感じます。

高原の風

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岡山に帰って来てからの初日、 今日はこちらでも久々の晴天だったようです。 雨が続いたことで気温が落ち着いたのでしょうか、 空は秋の雲で覆われているように見えました。 実際にはもう少し夏の暑さが続くのでしょうが、 高原では、夕方にもなると涼しげな風が吹いて来ていました。 確実に時間は流れています。